心配が共感されない

私は子供の頃から心配性で、恐怖心も強かった。

例えば電車に乗るとき、忘れるのが怖いから網棚に荷物を置くことができなかった。

隙間に落ちそうだからという理由で、ホームと車両の隙間が広いときは、一人で乗り降りができなかった。ホームのエスカレーターも乗るのが怖かった。

 

小学生くらいになるとゴツゴツした硬い椅子に座っていられなかった。「このままだと体が壊れてしまうんじゃないか」という気がしてしまったのだ。

 

とにかく、心配性だった。でも、心配する・恐怖する理由がなかったわけでない。

ホームと車両の隙間が広いところでは、小さな子供が落ちる可能性はある。

エスカレータの巻き込み・転倒事故だって現にあるし、子供目線だと下りのエスカレーターは「向こう側が見えない」ということから恐怖を覚えても不思議ではないはずだ。

 

つらかったのは、周りから「なんでそんことで」「心配しすぎだ」「気にするな」「そんなこと普通はない」といった目で見られたことだ。

もちろんこれは子供の頃の記憶をいま思い出しているだけなので、認知の歪みや記憶のバイアスがあったりするかもしれない。ただ、少なくともいま自分の記憶のなかにあるのは「周りから肯定的に思われていなかった」という印象だ。

 

結局、大人になった今も、周囲の人々より体力がなく、体調を崩しやすく、風邪は治りにくく、精神的に不安定になりやすい。そして、なんとなく疎外感を覚える。

 

子供の頃、自分の心配事に関してあまり共感されなかったことが、いまの自分の不安定さの要因になっているのではないかな、と思ってしまったりもする。