自分の持ち味

就活のとき、ことあるごとに自己分析が求められた。

自己分析ってなんなんだよ、毎度思っていたが、最近になって少し違う視点から考えるようになった。

 

自己分析をしなさいといわれたとき、表面上期待されるのは、得意なこと、向いていること、特性などであろう。

しかし、就活のとき本当に考えた方がいいのは、自分の「持ち味」ではないかと思い始めた(あるいは少なくとも、そうした視点から考えることに意義があるのでは、と)。

「持ち味」というのは「キャラ」と言い換えてもいいかもしれない。

 

いずれにせよ、私がここで「持ち味」という言葉に込めたかったのは、自分と環境との相互作用の中で自分がどう位置付けられ得るか、という視点だ。

 

「得意なこと」「向いていること」「特性」というと、どうしても個人の問題に目がいきがちになってしまうように思う。しかし、就活などの自己分析では、環境と切り離せないものとしての個人の性質、すなわち「持ち味」を考え、自分のその「持ち味」が活かせるようなところ身を置けるようにした方がよいのではないか。

 

ちなみに「持ち味」という言葉はふつう、どちらかというと個人的なもの、元来持ち合わせているもの、と言った意味合いが含まれ、上記のような意味が込められることはないと思う。それでも私がこの言葉に上記のような意味を込めたのは、次のような理由がある:「味」というのは、食べ物に使われるのが自然だが、食べ物の「味」というのは、それを味わう主体がいて初めて成立するものだと考えられる。つまり、味わう人がいなければ、それはただの化学物質か何かに過ぎない(あるいは「味」という言葉が、我々が今使っているような意味を持ち得ない)。

ここで「味わう主体ー食べ物の持つ味」という関係を「環境ー個人」というように、穴ロジカルに捉えたのだ。

 

まあ、適当な話だが。